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栄叡大師にインタビュー
栄叡大師没後編
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鑑真和上は、平城京に到着後、多くの人に戒を授けました。
その後、唐招提寺を建立、唐招提寺には戒律を授けるための場所、
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日本に正しい仏法を伝えた鑑真和上も、763(天平宝字2)年に亡くなりました。
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よしよし
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唐招提寺に和上の
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ここには、栄叡大師紀念碑を
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漫画「美濃の名僧 栄叡」を読ませてもらったら、みーちゃんが受戒していてビックリしましたよ。
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私も栄叡さんのようになりたくて受戒したんですよ。
ところで、なぜ岐阜県仏教会に顕彰されるようになったのですか?
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1983(昭和58)年に岐阜県日中友好協会の人が中国を訪問し、歴史博物館で栄叡大師顕彰の文献を見て、鑑真和上招聘に尽力した私が美濃出身の僧侶とわかりました。
彼らが日本へ帰国したのち1992(平成4)年から、私こと栄叡の里帰り運動が始まり、肖像画の製作から、坐像の製作へと事が運びました。
1995(平成7)年に4体の坐像として岐阜の地に私の里帰りが実現しました。
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同年に唐招提寺で鑑真和上と約1250年ぶりにお会いすることができ感無量でした。
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これらのご縁で財界の皆様に「栄叡大師奉賛会」を結成していただき、その運営を岐阜県仏教会に託され、毎年、岐阜県美濃加茂市伊深の
2011(平成23)年にお里帰り15周年、2021(令和3)年にお里帰り25周年の集いを開催していただきました。
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まさに「栄叡なくして鑑真日本に渡らず」ですね。
それでは、栄叡大師顕彰法要の様子をご覧ください。
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お話いただきありがとうございました。
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こちらこそありがとうございました。
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