
栄叡大師にインタビュー
日本編

今日は、栄叡さんにお話を伺います。
それでは、よろしくお願いします。


初めまして、栄叡です。
名前が読めないって、よく言われます。
「ようえい」って読みます!


失礼ながら、栄叡さんって、あまり有名ではないですよね。
何をされた方なんですか?


「あまり」ではないですね、「全く」じゃないですか?


私がしたことは、ひと言で言えば、鑑真和上に日本に来てもらえるように努力した、ということですね。

鑑真和上と言えば、小学校でも習うほど有名なお坊さんですね。
なぜ、鑑真和上に日本へ来てもらったのですか?


まず当時、奈良時代、聖武天皇は、仏教の教えや僧侶たちの知識によって国を治め発展させようとしていました。
そのため仏教寺院や僧侶は、税金や労務を免除されていました。
私も興福寺で、政治、経済、芸術、薬学、外交といった多くの分野を
学びました。


これは、興福寺の東金堂と五重塔ですが、明治以前は、この奥にお堂がありそこで学んでいたであろうと言われています。

今はもう無いのですね。


はい、明治の
話を戻しますが、税金や労務の免除に目を付けた一部の人達が、勝手に僧侶になっていたのです。

勝手に僧侶になれるの!?

生活に困って僧侶のふりをしているだけですよ。



こんな連中ですよ・・・

えーーー!!


そこで聖武天皇は、正しい仏法を授ける


戒師ってなんですか?

正式な僧侶になるために、戒を授けることができる僧侶のことですよ。
それが一人や二人では足りないんです。

何人いるんですか?



そんなにいるの!?
ところで「唐へ行け」と言われてそんなに簡単に行けるものなのですか?

簡単ではないですよ、命がけです。遣唐使船に乗っていくことになったのですが、この頃の船は、箱が海に浮かんでいるようなもので、現在のような頑丈な船ではありませんでした。これが復元された遣唐使船です。

ちなみに、遣唐使船は、長さ25~30m、幅7~10mで、2本の網代帆があります。
甲板の上に雑居部屋、下に荷室があります。
この大きさで 1隻に150人ぐらい乗るんですよ。
さらに、季節風への知識がない、羅針盤もない、天測だけで判断、天候予測は勘と経験、むしろ、到着するのは奇跡じゃないかと思えるような時代です。順調にいって一週間ぐらいかかります。



現代人の感覚からすれば、安全性、確実性、快適性とは無縁・・・私なら逃げる!!

逃げちゃダメですよ!
